はじめまして!
「世界一かんたんなベトナム料理教室Lotus」をご覧いただきありがとうございます。
私は、家族みんなで楽しめるベトナム料理を
「かんたん」に「おいしく」
自宅で作れるようになる
オンラインレッスンを
提供しています。
「かんたん時短ベトナム料理講座」は大好評で、開始してから2年で200名以上の方がレッスンにご参加くださいました。
ベトナム料理は生春巻きしか知らなかった、という方も、
「野菜がたっぷりでヘルシーでとにかくおいしいベトナム料理が大好きになった!」
と喜んでいただいています。
なぜ私が「かんたん時短ベトナム料理コース」を提供しようと思ったのか、私の生い立ちからのストーリーをご紹介したいと思います。
子ども時代
私は、埼玉県で生まれ、三姉妹の真ん中で育ちました。
2歳の時に千葉県の船橋市に引っ越し、祖父母と共に7人家族の中育ちました。
小さなころからお転婆で、外で遊ぶのが大好き。
暗くなっても帰って来ない、としょっちゅう母が探しに来ていたのを覚えています。
今も変わらずですが、当時から人懐っこい性格で、だれとでもすぐ仲良くなり、知らないおじさんに写真を撮ってもらった、というエピソードもあります。
(親切なおじさんだったので、後日写真をプリントしてプレゼントしてくれました。今の時代だったら危ないと親に怒られますね(笑))
今考えると、幼稚園生なのにそこまで遊びに行ってたの?というくらいの距離を遠征していたり。
とにかく活発な子どもでした。
小学校に上がってからももちろん外で遊ぶのが大好き。
男の子とばかり遊んでいた時期もあり、帰ってくるとランドセルを放り出して外で思い切り駆け回っていました。
動物が大好きで、猫を何度か拾ってきたり、迷い犬を保護したり、ウサギや鳥、ハムスター、モルモットなど沢山の動物を飼っていました。
拾ってきた猫が死んでしまったときは悲しすぎて、何時間も泣き通したのを覚えています。
寛大に、子どもの意見を尊重して育ててくれたおかげで、自己肯定感が高く、ポジティブな考え方ができるようになりました。
私の料理の原点
当時専業主婦だった母は料理が好きで、いつもテーブルに沢山の美味しい料理を作ってくれていて、私は毎日の夕食の時間が楽しみでした。
グラタン、ハンバーグ、ミートローフ、中華ちまき、ピロシキ、肉じゃがやおでん等々、いろんな国の料理をテーブルいっぱいに作ってくれました。
お菓子作りも得意で、誕生日のケーキはもちろん、白鳥の形をしたシュークリーム、ババロア、オムレツケーキなど、お菓子もよく作ってくれていました。美味しいのはもちろん、見ているだけで幸せなお菓子ができる魔法の工程を眺めているのが、私は大好きでした。
そんな母だったので、自然と料理の手伝いをするようになりました。
そして、私が失敗したとしても母は文句も言わずお手伝いをさせてくれたおかげで、私も料理が好きになっていきました。
そんな明るくのびのびとした小学生時代でしたが、中学生になると両親の喧嘩が絶えなくなり、高校に入る前に両親が別居。
それまでは大きな一戸建てに住んでいたのですが、母と姉妹と一緒に引っ越した先は、六畳二間の古いおんぼろアパートでした。
それまでは、欲しいものは買ってもらえて、お金がない、というのを感じたことがない暮らしだったので、こんなところに住むの!?と、とてもショックだったのを今でもよく覚えています。
専業主婦だった母が働き始め、忙しくなった母を助けるために、高校生になった私は時間があるときにはご飯をつくってあげよう、と今まで教えてもらったことを思い出しながら料理をしてみることにしました。
沢山失敗もしましたが、料理をするのは楽しく、なにより母がとても喜んでくれることがうれしくて料理がより好きになっていきました。
学校生活では友達がたくさんでき楽しかったのですが、家族のことや古いアパートのことを友達に知られたくない、と誰にも言わずにいたので、いつも隠し事をしているような気持ちで、高校3年間は私の人生の中でも少し暗い時代でした。
社会人、そしてベトナム料理との出会い
短大に進み、就職活動をする時期になり、周りが進路を次々に決めていく中、私は進路が決められずどうしようか迷っていました。
会社員=自由がないという勝手な思い込みがあったので、とにかく自由が好き、縛られたくないという性格の私は、スーツを着て会社にお勤めするという選択ができず、学生時代ずっとアルバイトをしていた無印良品でそのままアルバイトを続けることにしました。
そんな時、友人に誘ってもらい、食べに行ったお店が東京・原宿にあるベトナム料理店でした。
お店に行ったその日に、今まで感じたことのないお店の雰囲気や、今まで食べたことのない美味しい料理の虜になり
ここで働きたい!
と思い
スタッフを募集していたお店に翌日電話をかけ、無事そのお店で働くこととなりました。
原宿にあったお店は、働いているスタッフさんも個性的。
みんなおしゃれで、ベトナムが大好きなお姉さん、イラストレーターになりたい人、美輪明宏さん大好きな不思議ちゃん、アメリカで育った日本人の女の子など、一緒に働いていても楽しい人たちばかりでした。
お客様も近所のお店の店員さんが多く、個性的な方ばかりで、有名人もよく来る店でした。
働き始めてしばらくして、料理を担当させてもらえることになり、一からベトナム料理を教えてもらえることになりました。
それまでは、自宅で料理をするだけだったので、お客さんのタイミングに合わせて、毎回同じ味や見た目の料理を作るということに、はじめはとても苦労しました。
忙しいお店だったので、夏場は汗だく、週末の営業時間には休む間もなく料理をしていました。
生春巻きは毎日100本以上、揚げ春巻きも毎日大量に巻いていました。
そんな中、ベトナムのヌクマムの香り、パクチーの香り、レモングラスやカレー粉の香りに包まれ、教えてもらいながら料理を提供する楽しさを覚えていきました。
ベトナム本場の味も知りたい、と思い、当時はまだ日本からの観光客も少なかったベトナムホーチミンに友人とグルメ旅にも行きました。
その後、カリフォルニアスタイルのおしゃれなカフェのオープニングスタッフとして働きキッチンチーフを任されたり、メニュー・レシピ開発などの経験もさせていただきました。
当時は、まだまだ調理の経験が浅く、料理の技術も全然足りなかったため、それを補うために勉強をしながら一生懸命に仕事をしていました。
勉強のために、休日には都内のカフェやレストランに行ったり、海外の料理番組(一番好きだったのはイギリスのジェイミー・オリバー)を見たり、家でも料理をしていました。
ここで学んだ、丁寧な接客、お客様とのコミュニケーション、料理の技術などは、今もとても生かされていて、仕事において大切にしていることでもあります。
会社員、そして海辺へ移住
その後、美術系の専門学校の事務職に就いて、ここでも個性的な人に囲まれて、自由な雰囲気の中仕事をしていました。
旅行が好きだったので、お給料やボーナスはほとんど旅行に使っていた20代でした。韓国、タイ、バリ、アメリカ西海岸などに行き、仕事でもパリ、ローマに行かせてもらったり、とにかくいろんなところに行き、楽しい20代を過ごしました。
30歳目前になり、結婚をしたいけれど相手もいない、仕事もコレだというキャリアがない。
しかも仕事を辞めたので、これから先どうすればいいのか。。。
と悩んでハローワークに通っていた時、
相談員さんが親身になって話を聞いてくださりアドバイスをしてくれました。
「こんなのがありますよ」と教えてくれたのが職業訓練校で、当時はまだ国家資格になる前の「キャリアカウンセラー」の資格を取ることができる講座でした。
その相談員さんも「キャリアカウンセラー」ということをしり、私もこんな風に人の悩みを聞いてあげてアドバイスができるようになりたい、と思い訓練校に通うことにしました。
人からよく相談を受けることが多く、相談に乗るのも好きだったので、法律の勉強などは大変でしたが、心理学、カウンセリングなどはとても面白く学べて、無事に試験に合格しました。
そして、キャリアカウンセラーの資格を生かして就職支援事業のある大手企業に再就職しました。
30歳目前、初めての営業職は慣れないことばかりでした。
知らない会社へ飛び込み営業、電話かけを毎日数十件、そして、中小企業の社長さんや、人事の方とアポイントを取りお話しする毎日を過ごしました。
今までとは違う社会の厳しさを知り、ここでかなり根性が鍛えられました(笑)
このころは、週末にサーフィンをするのが唯一の楽しみで、平日の仕事も週末を楽しむため、という感じの毎日でした。
32歳になったころ、毎日が満員電車に揺られて会社との往復のみ、仕事が忙しすぎる生活に疲れ果てていました。
「一度きりの人生もっと自分の好きなことをやって自由に生きたい!」と思い、思い切って会社を辞める決断をして、海辺の町に引っ越すことに。
仕事のあてもなく引っ越したのですが、運よく料理のお仕事に就くことができて、毎日大好きなサーフィンと料理の仕事をして、とても楽しい毎日を過ごすことができました。
結婚、出産 そしてアロマ教室スタート
そして、34歳で結婚、35歳で長男を出産。
出産後はとにかく社会と切り離された感覚が強く、とにかく社会との接点が欲しくて興味のあったアロマテラピーの学校へ赤ちゃんだった息子を連れて通いました。アロマに夢中になり、子どもが寝ている隙に家事をやり、夜は毎日勉強をして1年半で講師になる資格まで取得しました。
それから1年後、子どもが2歳になる頃、資格を生かして自宅でアロマテラピーの教室をスタートしました。はじめは趣味程度で始めた教室でしたが、少しずつ教室に来てくださる生徒さんが増えてきて、また、それが嬉しくて、2人目の出産を挟みながらも、家事、育児、仕事をなんとか両立させ教室運営をしていました。
もちろん、すべてが上手くいくことばかりではなく、仕入れや勉強にもお金がかかり、運営が赤字になることもありました。一時期は、カフェでアルバイトをしながらアロマの教室をやっていたこともあります。
そんなこんなで、アロマ教室をスタートして3年で教室には延べ100名以上の方が通ってくださり、外部講座を含めると300名以上の方にご受講いただきました。
企業や生協からのお仕事を頂いたり、新聞の取材を受けたり、友人と立ち上げた「起業女子の会」は100名以上のメンバーになり大きな場所を借りてイベントを主催したり、充実した毎日を送っていました。
もともと人と関わるのが大好きだったので、沢山の人と繋がれること、知人友人が増えていくことが楽しくて仕方なかったです。
離婚、そして人生のどん底
しかし、教室を立ち上げ3年くらいした頃、離婚をすることになり、教室も遠く離れた場所に引っ越さなくてはならなくなりました。
とにかく子供たちもいるので、頑張ってどうにか収入を確保していかなくては、と思いながらも、それまで頑張って教室を運営していたのを、ほぼ0からやらなくてはいけない状況になり、どうすればいいのかわからない状況になりました。
離婚後はとにかく精神的に辛く大変で、それが仕事にも影響して、経済的にも精神的にも人生の中でどん底でした。いつここから抜け出せるのか、これから自分がどう生きていけばいいのか、どうなってしまうのか、と怖れと不安を感じる毎日。
そんな精神的な負担が体にも表れ、一年間で4回も入退院を繰り返しました。
真っ暗闇のトンネルの中に入っているような状態で、先が見えない苦しい毎日は一年半続きました。
どん底からの復活
そんな真っ暗闇にいた時
「あさみはやっぱり料理だよね!」
と古くからの友人に言われた一言で、私の視界がパッと広がり明るくなりました!
トンネルから一気に外の明るい世界へ飛び出せたのです。
あの瞬間は今でも忘れられません。
そこからは、
また料理を仕事にしたい!
料理の楽しさをみなさんにお伝えしていきたい!
という思いが私の中から溢れてきて、すぐに料理教室をスタートすることにしました。
とにかく辛かった離婚後。
でもそれがあったからこそ、
家族と一緒に美味しいものを食べながら楽しく過ごす時間、
自分の好きなことを通して人生を楽しむこと
の大切さに気づきました。
料理教室の誕生!
料理教室をやろう、と思った時に
ベトナム料理は、人気があるのにも関わらず
ベトナム料理は外で食べるもの
ベトナム料理は家では作れない
と思っている方がとても多いことにも気づきました。
さらに、美味しいものが沢山あるベトナム料理なのに
生春巻きとフォーくらいしか知られていない、ということにも気づきました。
それならば、ベトナム料理をもっと手軽においしく作る方法をお伝えしていこう、と
「かんたん時短ベトナム料理講座」をスタートすることにしました。
ベトナム料理はお野菜がたっぷりで、脂ものも少なくとってもヘルシーで体が喜ぶものばかり。
そして辛くないエスニックだから家族みんなで楽しめる料理です。
自宅で作れるようになることで、外食や旅行をしなくても、自宅で家族と一緒に味わうことができるようになります。
お料理も食べることも、毎日のことだから
「かんたん」「時短」「おいしい」ベトナム料理で
毎日がより楽しくなり、家族に喜んでもらえ、みなさんの人生を豊かにしていく!
というミッションを掲げて活動しています。
メディア
TV出演:BS-TBS 「魔法のワンプレート」計4回
レシピ開発:株式会社イマイ様(ベトナム食材使用レシピ)
雑誌掲載